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上水道の歴史



一般的に上水道とは飲料や水利用のための公共的な施設の全般を呼んでおり、上水道の起源は、古代の地中海地域が発祥とされています。古代の上水道でもっとも有名なものが「ローマ水道」です。ここではローマ水道を中心に、世界の上水道及び日本の上水道の歴史について解説します。

世界の上水道

世界の上水道

古代ローマ時代以前の上水道は、深いところにある井戸から汲んだ水を遠くに運ぶために作られた水路であり、古代ローマ人は都市の給水に使うため、街のあらゆる所に水道を建設しました。

ローマ帝国の上水道

ローマ帝国の上水道として一番整備されていたローマには約10以上の上水道が建設されており、その上水道は、建設した指導者の名前を取って「アッピア水道」と呼ばれ、当時の指導者の慈善事業として権力を誇示していました。また、建設された上水道施設のメンテナンスも当時の為政者の重要な行政として実施されており、ローマ上水道の中でも一番古い紀元前312年に建設された「アッピア水道」は総延長16kmとなっています。水源地の海抜は30mで、ローマ市街地が海抜20mであるため、10mの高低差を生かし自然の重力で配水しており、水道の大部分は地下に建設されましたが、ときには水道橋やサイフォンの原理を使って水を上昇させるなどの技術が使用されました。古代ローマの繁栄はこうした都市インフラの充実によることが多く、清潔で豊富な飲料水や、浴場施設への提供は市民の健康や子孫繁栄に大きく役立ったと言えます。しかしながらローマ帝国の滅亡とともに、蛮族らによる破壊やメンテナンス不足などから現存する上水道施設は少なくなっています。

日本の上水道

日本の上水道の起源は16世紀の半ば、小田原に建設されたとされています。当時、小田原を支配していた北条氏康が、近隣の早川から水を小田原城に引いた「小田原早川上水」が、日本最古の上水道と言われており、戦国時代においての国の防衛拠点となった「城」は飲料水の確保が重要で、小田原早川上水の建設技術は、豊臣秀吉の小田原征伐に参加していた全国の諸大名によって、全国に広まっていったと考えられます。

江戸の上水道

小田原征伐にも参陣した徳川家康も、小田原早川上水の技術を活かした武将の一人とも言えます。江戸の低湿地帯や丘陵地域が混在した都市建設には、上水道の整備が不可欠であったとされており、現在も存在する武蔵野市の井の頭池から水を引いた神田上水を始め、玉川兄弟によって建設された玉川上水などによって、江戸の街にも水が引かれていきました。江戸における水道の建設技術は、当時としては世界で最も進んでいたとされています。